日本共産党新座市議会議員団
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にいざ民報

2004.5.9  No.1063
日本共産党新座市委員会
働く者の団結で生活と権利守ろう
第75回メーデーひらかれる
 5月1日、第75回北足立南部地域メーデーが朝霞中央公園で開催され爽やかな風に各労組の旗がはためく中約五百人が参加しました。

 依然として続く高い失業率、大企業の横暴なリストラや不払い残業など労働者にとって最悪の事態が続いています。メーデー参加者は「すぺての労働者の賃上げ、リストラ・解雇の規制、医療改悪反対、自衛隊のイラク即時撤退」などを掲げ、生活と権利を守る先頭に立つことを誓いあいました。

 四市の共産党議員17名が全貝参加して皆さんと交流。参院議員大門みきし氏と前議員あべ幸代氏からの連帯の挨拶を、あやべ澄子地区党副委員長が代読しました。

 青葉台公園まで元気にデモ行進した後、各団体が作成したデコレーションの審査結果が発表され、新座土建組合や年金者組合、新日本婦人の会、学童労組などの力作が表彰されました。
メーデー
障害者の施設増設を計画的に
重度知的障害者の入所施設など
 朝賀議員は3月議会で障害者施設の充実について一般質間しました。「障害者のデイケア施設は市内に3施設あるが定員を越える状況があり、増設が求められている。また、精神障害者の共同作業所の増設も当事者から増設が求められている。重度知的障害者の入所施設の増設は四市で検討されているが進捗状況は?」と質問しました。

 市は「デイケア施設は公設公営で連営している障害者就労支援センターを軸に考えたい」との答弁にとどまりました。また、「精神障害者施設は運営している団体がNPO法人から社会福祉法人化をめざしているのでその中で支援していきたい。重度障害者の入所施設については四市で運営している「すわ緑風園」(定員50人・所在地和光市)の隣地に国有地があるので国に使用許可を依頼している」と答弁しました。

 障害者の諸問題は施設建設だけでは解決できませんが、さしせまった要望には対応しなければならないと考えます。地域・杜会で障害者の方が普通に暮らせるようにするにはということを皆で考えていこうではありませんか。

 また、昨年度から支援費制度が導入されたこともあり、市は今年2月に「障害者計画推進協議会」をつくり検討を始めています。
グループホームの設置状況と市の指導は?
 保坂議員は3月議会で介護保険制度の充実についてとりあげました。「特別養護老人ホームの待機者の解消は」と質間。市は「現在市内に3つの特別養護老人ホーム(211床)があるが、待機者は183人いる。(2月1日現在)来年度『みかんの里』で30床の増床が完成する。また、馬場に特別養護老人ホームの新設計画がある」と答弁しました。

 保坂議員は「グループホーム等の民間参入が増えているが、市内の設置状況と市の指導方針は」と質問。市は「現在6施設、99人が入所しているが、市民の入所は3割30人。グループホームは年間一人当たり280万円、年間3億円近くの財源が必要になってくる。

 入所者が住所登録をすると建設地の市町村の負担が増えてしまうので、(出身市町村が財政負担する)住所地特例を国に要望している」と答弁しました。
「笑顔あふれる学校を」
教職員組合が定期大会
 新座市教職員組合の04年度定期大会が4月27日新座市民会館で開催されました。会場には各分会が作成したタペストリーが数多く掲示され、華やかな雰囲気の中で議事が進行しました。

 03年度の運動の総括は、1職場の民主化・教育条件整備の諸婁求を実現する運動、2地域と手を結び民主教育を進める運動、3平和と民主主義を守る運動、4組織の拡大・強化のための運動の4点にわたって行われました。教育基本法改悪に反対する取り組みでは、6月に6会場で教育懇談を開き、父母を含め105名が参加しました。『30人学級の実現などを求める百万署名』では13352筆の署名を集め、全国的な流れになってきている30人学級実現に大きく貢献しました。

 04年度の運動方針は「笑顔あふれる学校を」をメインスローガンに、1真に子どもが主人公となる学校づくりを父母、市民と共にめぎそう、2憲法、教育基本法改悪に反対し民主教育を進めよう、3各種教研に取り組み、教育的力量を高めようなど6項目の柱を決めました。また、今年は10月15日、16日に南支部教研が新座市で開催されます。

 大会には笠原進市議が参加し、日本共産党を代表して挨拶をおこないました。
野火止用水のはり金工場
 新座駅前の水車は水を下から掛ける上掛け水車でなく、本当は水車の中ほどに水を掛ける胸掛け水車ということを前号で書きました。この水車の力で江戸時代は米を挽いたり、うどん粉やそば粉を挽いたりしました。

 明治時代になり日本にも電気が入ってきました。水車の力で「張金」はりがねの工場ができました。野火止用水の水の力で日本の近代化が始まったのです。

 熱した銅の捧を「ダイスの小さな穴に通して、水車の力で引っ張る工場が始まったのです。聞き書きによると、平林寺裏の台の水車、山下の水車、大せんの水車、三上の水車、島村の水車などが「はり金」を作っていたのです。

 電信、電話、電灯など、日本の文明の一端を野火止用水の水車が担っていたことは歴史にとどめておきたいものです。

 次回は「黒目川の水車」について

(K・M)
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